「グリコしよう」
「はぁ?」
一紀は素っ頓狂な声を上げた。
もうすぐ取り壊されることが決まっている旧校舎には、図書館が取り残されていて、一紀は幼馴染であるところの清子と放課後訪れるのが日課になっていた。
決まって、夕暮れの図書館で、受験勉強をしたものだが、お互い志望校も決まり、今日は、清子が借りていた本を返すのに、一紀が付き合った格好で、旧校舎にいた。
「俺、腹減ったんだよ、早く帰ろうぜ」
清子は階段の踊り場から降りようとしない。
夕暮れであたりは燃えるように染め上げられている。
清子の顔は逆光になって、一紀からはよく見えない。
「清子」
苛立ちが滲んだ声で、一紀は促した。
「一紀、2組の吉沢さんと、別れるの?」
清子がよく通る声で言った。
「い、いきなり何言い出すんだよ」
確かに吉沢とは付き合っているが、二人が合格した志望校は遠く離れている。
図星を刺されてどきりとした。
別れるんだろうな、とぼんやり思っていたところだったのだ。
「お前には関係ないだろ」
焦って早口になった。
清子は笑ったようだった。
「一紀が淋しくないならいいよ」
昔から大人びた少女だった清子は、ここにきて、一紀に何を告げようというのか。
「ねぇ、一紀。私達、初めて離れ離れになるね」
「・・・・・・そうだな」
「だから、グリコしようってば」
「清子・・・・・・」
「ほら、じゃーんけん・・・」
思わず、手を出してしまった。
勝ったのは清子。
「パーイーナーツープールー!」
軽快に清子は降りてくる。
「おい」
「はい、じゃーんけん」
また手を出してしまった。
清子の手は開いている。
「グー以外も出してよね」
階段はそれほど段数がない。
清子が三段下りると、二人は並んだ。
甘いにおいがした。
清子は残りを降りながら、ちらりと一紀を振り返った。
清子の顔は、夕焼けに照らされて美しかった。
一紀は思わず手を伸ばした。
どうしてそんな、昔、近所のいじめっ子に意地悪されたみたいな、顔を見せるんだ。
「もういいよ、おしまい一紀。バイバイ」
清子はそのまま旧校舎の出口へと向かう。
「お、おい!」
一紀はそれを追いかけながら、清子の中で、自分が存在する時間が終わろうとすることを感じた。
すると、もう、待てとは言えなかった。
「勝手すぎンだよー・・・・・・」
気の強い幼馴染の、彼女なりの、さよならは急すぎて、胸が痛んだ。
初めて覚える、恋の痛みだった。