獣の王子

 小さいが、実りが豊かで、善良な人々が仲良く暮らす国があった。
 その国の慈悲深い王と、気高く美しい王妃の間に王子が生まれた。
 王子の顔は、この世のものとは思えないほど美しく光り輝いていた。
 誰もが王子の巻き毛に触れたがり、王子に花を贈りたがった。
 城の誰もが、王子を慈しんで育てた。
 
 しかし、王子はいつまで経っても言葉を話さなかった。
 王子は害のない獣程度の知恵しか持たなかった。
 人は王子を哀れみ、王妃は嘆きのあまり自ら命を絶った。
 これを憂いて、王は、王子を城の塔の一室に幽閉した。

 王子はいつもあたりを歩き回っていた。
 扉を開け、戸棚を開き中のものを床に散らかした。
 食べ物は手づかみで、少しのパンしか食べようとしなかった。
 王子が好んだものは、東方の国から取り寄せた万華鏡だった。
 王子は何時間も夢中になって万華鏡を覗いていた。
 その時ばかりは、王子の頬に笑みが浮かんだ。
 王は王子のために、数多の宝石を砕いて、万華鏡に入れた。
 王子は塔の薄暗い部屋で、万華鏡の中の光をいつまでも見つめていた。

 時が経ち、戦が起こった。
 王は戦で死に、城は敵に奪われた。
 兵隊は捕虜となり、街には略奪と虐殺の嵐が訪れた。
 塔の王子も囚われの身となった。
 敵国の王は王子から万華鏡を取り上げた。
 中の宝石を奪うためだった。
 王子は激しく抵抗したが、すぐに取り押さえられた。
「獣の王子に、宝石は必要あるまい。王子は父王の死さえ理解できぬのだ。人は取るに足らぬ獣まで殺しはせぬ。どこへなりと消えるがいい」
 命乞いもできぬ王子を、敵国の王は城から放り出した。
 
 王子は森をさ迷い歩いた。
 夜は木の虚で眠った。
 王子の服はすぐにぼろきれになった。
 ある日王子は、河で釣りをするひとりの老人に出会った。
 老人は王子に言った。
「獣の王子よ。あなたはかの王国の王子であったが、王子としての責務を何一つとして果たせなかった。その罪を受けなければならない」
 王子はもはや見る影も無く汚れていたが、その美しい目には一点の曇りも無かった。
「哀れよの、獣の王子。人としては無垢すぎたのだ」
 ぴん、と老人の釣竿がしなった。
 釣竿の先には、かつて王が王子に与えた万華鏡の筒がかかっていた。
 宝石の一つも入っておらず、向こうが見えるだけの筒だったが、王子はそれにむしゃぶりついた。
 しかし覗き込まず、胸に抱きしめていた。
 老人は王子に行った。
「それが、あなたの人としてのたった一つの思い出であろう。ならば、光になって、永遠に万華鏡とともにあればよい」
 その瞬間、王子はきらきらと輝く光になり、万華鏡の中に納まった。
「王子よ、あなたの罪はあなたのせいではない。しかし、人の世にあってはあなたの存在はむごすぎた。人はあなたを哀れみ自分の無力を呪った。あなたは人の愛を知ることも無かった。あなたも哀れだったが、あなたを愛した人々もまた哀れだったのだ。そして、あなたにこうして罪を背負わせるこの世界そのものも哀れなのだ。王子よ、許しておくれ」
 そういうと、老人の姿は消え、後には浅瀬に光り輝く万華鏡がひとつ残っていた。

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