竜の祭り

僕は妖精、生も死も、魔法使いの手に握られた、哀れな囚人。
魔法使いは漆黒の髪、灰色の瞳、絶望したような空の色をしたその目は、僕を蔑み続ける。
僕は魔法使いの長い睫の奥にある、嫌悪のわけを知ることもできず、魔法使いに翻弄されるまま。
無為の日々に、心を浸食されている。

魔法使いは僕に小さな貝を与えた。
貝の中からは、小さなこどもの声がした。

小さな頃から、汚いとばかり思っていました。
爪も、髪も、きれいなところはひとつとして無いと、自分の体は、心は汚れきっていると、そればかり思っていました。
記憶の始まりは、何かを叫んでいる男の顔と、その後に来る鋭い衝撃、それから泣き喚く女の声。
父が投げた、カビかけたパンののった皿は、母を庇った私の顔に当たり、唇が切れ、血が出ました。
それを見て母は喚き立て、父は階下におり、うろうろと煙草を吸っていました。
私を抱きしめて泣く母の腕が暑苦しく息苦しく、まるでやわらかな肉でできた鎖のような。
不毛な言い争いの末、それからしばらくして父は出て行って、女のところに行ったきり、帰って来ませんでした。
それが確か五歳の頃です。
私はその後数ヶ月、全く家の外には出ず、食べるもののない生活を母が支えるために勤めに出ている間の留守番を務めました。
私は冷たい石造りの床に膝を丸めて小さくなり、この床は、大工だった父が背中を丸めながら、一枚一枚磨き上げられた石をひいてこさえたもの、つやつや光るきれいな床を、新しく産まれてくる私のために敷いてくれたと、母が嬉しそうに話してくれた、そんなことを考えながら、ただじっと待っていました。
空腹もさほど苦痛にはならず、私はただ冷たい床に頬をつけ、誰かが玄関の扉を開けるのを待っていました。
父はそれから二度と帰って来ませんでした。
母もしばらく経って、ある朝出て行ったきり二度と帰ってきませんでした。
私が飢えて死にそうになっていると、近所のひとが来て、ここで死んでは困るからと、腐れ病の谷に連れて行かれました。
私はそこで僅かな糧の代わりに、腐れ病の人々のお世話をしました。
谷のひとはみな、外から来た人間を憎んでいます。
病気になった途端に、谷へと放り入れられ、財産も何もかも奪われた人達ばかりだからです。
私は谷で、蛆を取り、糞尿の始末をし、罵られながら生きています。
私はこのようにひとりなら、生きていても仕方がないと、そう思い早二年の月日が経ちました。
実はそろそろ私も腐れ病に冒されようとしています。
もう、爪の色はどす黒く変色しています。
どうせ死ぬのなら、私は灰列に加わりたいと、そう思いました。
だから、もうすぐ迎える七歳の誕生日に、死の誓いを立てようと思います。
どうぞ、私の宣誓を叶えて下さいますよう、何とぞよろしくお願いします。

「面白いだろう。灰列の最年少が誕生するか、賭けてみるか?」
「灰列って・・・何なんだ?」
「・・・・・・そんなことも忘れているのか。便利な頭だな」
魔法使いは真っ黒なローブのきらきらと銀糸の縁取りが光る裾を摘み上げた。
下から、魔法使いの長い脛を包む下履きがちらりと覗いた。
それも黒で、魔法使いは黒一色に染められている。
ほとんど肌を露出しない魔法使いは、顔と手だけが偽物のように白く、また作り物のように美しい。
完璧なカーブを描く眉と、その下のすっと筆で書き上げたような切れ上がった眦、薄い瞼の下の瞳は、鏡面のようにきららかな灰色の瞳は、神が丹精したとしか思えない美貌だ。
魔法使いは首を傾げた僕に、面倒臭そうに説明した。
灰列、とは聖ギテラの日に、聖火にその身をくべる人々の列のことだ。
ギテラは炎で竜を焼き殺し、王を守ったという伝説を持つ聖者だ。
聖ギテラの日には、必ず聖油を香木にかけて、王家の紋章を象った火の祭壇を作る。
その祭壇に、この世での罪を浄化させるために、毎年何百というひとが列を作るのだ。
年老いた者や、罪を犯した者、病にかかった者、それぞれ死の理由を抱えている。
けれども、それが無秩序に行われるわけではない。
高位の魔法使いに伺いを立て、推薦状を書いて貰わなければならないのだ。
死に至る手紙を。
「王宮の魔法使い達じゃ、判断しかねたらしい。俺のところに回ってきた」
魔法使いは小さな貝を弄びながら、僕に囁いた。
「お前ならどうする?この生と死は、お前の手の中にある。握りつぶすのもそっと放してやるのも、お前の自由だ」
「僕は・・・・・・」
背中が疼く。
最近こんなことが多い。
魔法使いの言葉に、僕の背中が痛みを訴える。
そこから、押さえられない何かが溢れ出しそうな、そんな痛みだ。
「僕は書かないよ。灰列になんて、行かせられない」
魔法使いは鼻で笑った。
「お前の言いそうなこった。なんて残酷、なんてお優しい!」
魔法使いは長く黒い爪の生えた白いすんなりとした指を僕に突きつける。
「ギテラが竜を焼き殺した日、俺は竜の飼い主が何をしていたか知っているよ。竜を殺すことはできないと、ギテラや他の大勢の兵士達が死んでいくのを、泣きながら見ていたんだ。見ていただけだ。そいつが竜を死なせてやれば、死人は出なかった。そいつには竜を殺すことなんて、至極簡単なことだった。それでもそいつはかわいそうだと言って、竜が炎の中で狂い死ぬまで何もしなかった。耳を塞いで目を閉じて、知らない振りをし続けたんだ」
魔法使いは皮肉げに笑みを浮かべているが、目は笑っていなかった。
それどころか、いつもは鉄のように強く冷たい目が、酷く苛立った色をしている。
「魔法使い?」
その時僕は思わず、魔法使いの腕に手を伸ばした。
触れた瞬間に、魔法使いの体に電流が走ったように感じた。
いや、それは僕が感じたものなのかも知れない。
「・・・・・・ごめん」
魔法使いは僕をそっと抱き寄せると、その胸に顔を埋めさせた。
「お前は、今でも俺を殺したいと思っているか?」
まるで夜そのものの匂い。
夜に咲く、銀の花の匂い。
「思っているよ、お前だけは、僕が殺す。絶対に」
魔法使いはそっと僕の背中をなで下ろした。
魔法使い、どうしてそんなに優しく僕に触れる?
「そうだ。俺を憎め。もっと、殺意だけで俺を殺せるほど憎むんだ」
まるで恋人同士の抱擁のように。
「ユー・・・」
魔法使いの名を呼びかけた僕の唇を、魔法使いの唇がそっと塞いだ。
「その名を呼ぶな。呼ぶなら、真実の名で呼べ」
「僕があんたの名なんて知ってるわけがないだろ。自分の名前だって貴様が奪ったんだ」
魔法使いは抱擁をとき、僕を膝に座らせた。
「ならば、そういうことにしておこう。いつものように、少しばかりの見返りで、お前の芝居につき合ってやろう」
「どうして・・・・・・」
そんなことを言うのか、と言いかけた僕の言葉を魔法使いが遮った。
「お前の真の姿を教えてやろう。波打つ銀の髪は足下まで長く流れ、花のような唇にはいつも愛らしい笑みが浮かんでいた。零れそうに大きな瞳に、俺を映すと決まってその笑みは消えた。細い腰に細いリボンを何本も巻いていたな。それぞれが贈り物だと俺に言って。お前を崇拝するものは捨てるほどいた。背には虹色に輝く羽根が四対」
吐き気がした。
魔法使いの言葉を聞きたくない。
これ以上聞いてはいけない。
僕は妖精、ただの、ちっぽけな、囚われの身。
いつか真の名を取り返したら、魔法使いを差し違えてでも殺すことが望みの。
「竜はよくお前に懐いていたな」
やめろ。
言うな。
言ってはいけない。
「お前は泣きながら俺に言ったんだ。殺さないでと。だから俺も見ているだけだった。その結果がその貝に入っている。死の欲求を叶える祭り」
「・・・・・・!」
僕は叫んだ。魔法使いの名を。
叫んだはずの声は僕には聞こえなかった。
僕の耳は聞かなかった。
でも、魔法使いは満足した様子で、僕の顎を掴んだ。
急速に意識が遠のいていく。  多分、目覚めたら、僕はこのことをすっかり忘れているだろうという予感がした。
「そうやってまた逃げればいい。逃げれば逃げるだけ、俺とお前は近い存在になっていく」
水の中にいるように魔法使いの声が遠い。
そして僕は魔法使いの腕の中で気を失った。

あの竜にはかわいそうなことをした。
もっと早くに殺してあげれば良かったのに。
漆黒の鱗と銀の瞳が、あまりによく似ていたのだ。
『死にたい者には、安らかな死を与えてやろう。お前の代わりに』
あれは誰が言った言葉だったか。
『そんなこと、私は望んでいない!私は誰の死も望まない!』
そう吐き捨てるように言ったのは?
『お前は誰にでも優しく、同じように残酷だ。死を望まないと言いながら、多くの死を生み出している』
早く、早く眠ってしまわなければ。
深く深く。
光も届かない、静寂の彼方まで。

僕は妖精。
ちっぽけな。
020629

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