種子

ある霧の夜、魔法使いが小さな猫を拾ってきた。
霧は魔法使いの光を吸い込むほど暗い漆黒の髪を濡らし、しっとりと頬を湿らせる。
足首まですっぽりと覆い隠すマントの内側から取り出されたのは、弱弱しく鳴く子猫。
灰色の毛並みが濡れて張り付き、やせこけた体が目立つ。
「猫・・・・・・?」
「そう、猫」
魔法使いは子猫を高く持ち上げ、魔法使いの首筋まで、つまり、僕の目の前まで持ち上げてから、軽くほお擦りした。
僕には向けたことの無い優しい顔をして。
魔法使いの銀の綺羅らかな瞳は、伏せると長く濃い睫に半ばまで隠されて、物憂げになる。
鋭く射抜くような印象が和らぐと、その瞳の美しさが際立った。
形よく通った細い鼻梁と、硬質な唇の形。
その唇は柔らかいということを僕は知ってしまっている。
「ど、どうするんだ、それ・・・」
「うちには役立たずの小間使いしかいないからな。その代わりだ」
「役立たずって、僕!?あのな、僕はお前の」
「そうだな、お前は俺のものだな。忌々しいことに。それから、お前が最近寝てばかりで役に立たないってことも」
「う・・・」
そうなのだ。
最近の僕は眠いばかりで、実のところ一日中寝てしまっている。
ムリをして起きていようとすると、ひどく背中が痛む。
痛みは背中を突き破るほどに辛く、毎日僕を苛み、眠っているときは幾らか和らいでいても、常に僕のそばに存在している。
魔法使いは文句を言わなかった。
僕はこの痛みや眠気の意味を知らなかったけれど、魔法使いは知っているようだった。
だから、僕を眠らせてしまう。
僕は魔法使いに聞くのが怖く、夢に逃げ場を求めた。
「おいで」
魔法使いが手を差し伸べる。
白く長い指には銀色の爪が長く伸びている。
唇の端だけを吊り上げる微笑。僕の嫌いな笑い。
嫌だというのは簡単だったが、言うには僕は魔法使いに慣らされすぎていた。
「・・・・・・マント、脱ぎなよ」
「そうだな」
魔法使いは猫を抱いたまま器用にマントを脱ぐ。
魔法使いのすらりとした肢体を、ぴったりと黒い長衣が包んでいる。
僕は抱えたマントに鼻先を埋めた。
魔法使いの匂いがした。

魔法使いは書斎の書棚の奥から小さな瓶を取り出した。
中には透明な液体が入っている。
「手を」
僕が手を出すと、魔法使いはそれを口元に持っていった。
「いたっ・・・」
魔法使いの白く尖った犬歯が僕の指に食い込む。
ぷつりと血が膨らみ、丸く玉を作る。
この雫を魔法使いは瓶に零した。
「いきなり、お前は!」
瓶の内側で血は広がり、混じりあい、菫色の液体が出来上がった。
「見てろよ」
魔法使いは瓶の中身をスポイトで取ると、猫の口を開けさせた。
液体は猫の口に消えた。
すると、子猫はがくりと机の上に突っ伏した。
「お、おい・・・っ!」
子猫の体が大きくなる。
灰色の毛が抜け落ち、白い皮膚が引き伸ばされる。
頭部の毛が伸び色が変わる。
銀色のそれは。
ぶるりと体を震わせて顔を上げる。
それはもう猫ではなかった。
僕と同じ顔をしたものが、そこにいた。

奇妙な共同生活が始まった。
猫は僕と同じ顔をしていた。
魔法使いは猫の世話を甲斐甲斐しく焼いていた。
猫は魔法使いの膝に乗り、甘えてしなだれかかり、キスをねだる。
魔法使いの髪に指を絡ませ、魔法使いの腕を撫でる。
僕と同じ顔の猫は、うっとりと瞳を潤ませて、魔法使いの腕の中にいる。
僕は部屋にこもった。
「最低だ、あいつ・・・」
何も僕と同じ顔にする必要は無かったはず。
僕と同じ顔の猫に、口付けをする必要は無いはず。
「眠い・・・・・・」
背中が痛い。
「痛いよ、痛いんだってば・・・・・・魔法使い・・・・・」
魔法使いは猫と一緒にいる。
僕は寝床で膝を丸めた。
ひとりで体を縮め、痛みに耐える。

そんな夜が一週間ほど続いた。
眠気は一層ひどく、僕の機嫌は地を這っていた。
夕食の席、魔法使いの膝には猫がいる。
銀色の月光のような髪、瑕疵の全く無い体、完全な左右対称に整った顔。
未成熟な性の匂いのしないどっちつかずの生き物。
吐き気がした。
どこにも属さない。男にも女にも。誰のものにもならない。誰にも愛されない。誰も愛せない。
「どうした」
「何でも、ない」
猫が魔法使いにパンをねだる。
「よしよし、お前はかわいいな」
魔法使いは猫の顔を撫で、頬に唇を寄せる。  猫が小さく喉を鳴らす。
僕の不快感は頂点に達した。
がちゃん、と大きな音を立て、食器を置く。
「ごちそうさまっ!」
魔法をかけられたテーブルが皿を飲み込むのを見もせず、僕は席を立った。
部屋へと向う僕の背中に、魔法使いは言った。
「痛みに眠れないのなら、この薬を飲めばいい。よく眠れる」
振り返る僕に、魔法使いが投げたのは装飾の付いた小さな箱。
「一錠だけ」
魔法使いは微笑を浮かべた。
僕は返事もせず、そのまま食堂を出た。
猫がニャァと鳴いた。

背中はひどく痛み、僕は薬を飲んだ。
「なんか、ふわふわする・・・」
痛みは鈍くなったが、眠気は増したようだ。
「魔法使いなんか・・・・・・」
あいつなんて死んでしまえばいい。
僕を閉じ込めて、僕に冷たくして、僕を飼い殺して。
そして僕に見せ付けるんだ。
僕がより所を失った、この世にたった一人の妖精だということを。

僕は魔法使いの寝室の扉の前にいた。
僕は扉を開ける。
紗の覆いの向こうに魔法使いは横たわっている。
合わせた紗の隙間から白い足が転がり出た。
細い、すんなりとした脛。
僕と同じ猫の足。
僕はそれを掴んで、引きずり出した。
猫は眠りの中にいた。
僕は猫の首に手をかける。
「お前なんか・・・・・・」
猫が苦しげに目を開ける。
紫水晶が僕を映した。
同じ顔。
同じじゃない。
お前は僕じゃない。
お前は魔法使いのものじゃない。
僕だ。
僕だけが魔法使いの。
「うっ・・・く・・・・・・」
激痛が背中を襲った。
痛みに目が眩む。
「あぁっ・・・はぁ・・・あ・・・・・・!!」
僕の背中の皮膚を割って、何かが生まれる。
そして、僕の体を作り変える。
「くぅ・・・っ!!」
細胞の隅々まで新しい力が行き渡る。
壁にかけられた古い鏡に映った僕はもはや僕ではなかった。
さらに長く波打って広がる銀、細く華奢な首、くびれた胴、膨らみ始めた胸、少女以外の何者でもない僕が、そこにいた。

「・・・・・・おいで」
魔法使いの声がした。
夜の帳の向こうから。
僕は猫の首から手を離す。
猫は何度か咳をした。
魔法使いは僕の手を優しく握った。
そのまま一息に寝台に引きずり込む。
寝台の中は魔法使いの吐息で温まっている。
魔法使いは僕を抱きしめ、確かめるように体を撫でさすった。
僕は魔法使いの胸に顔を埋め、魔法使いに抱きしめられる。
絹の夜着が密やかに擦れ合い音を立てる。
「魔法使い・・・・・・」
魔法使いは僕の目尻を舌で擽る。
「まだ、夢?」
涙が零れ落ちる。
「そう、夢だ。今はまだ夢の中」
夢の中なら、きっと許される。
禁じられたことも許される。
「魔法使い・・・・・・」
魔法使いは僕の首筋に顔を埋め、鎖骨を辿り、唇を慰め、僕はただ魔法使いにすがりついた。

灰色の小さな子猫が尻尾を揺らしながら開け放された寝室の扉から出て行くと、扉はひとりでに閉まった。
朝までその扉が開くことは無かった。

031027

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