月と月と夢

天空には三つの月が踊っている。
そのうち環を頂いた一番大きな月を、瑠璃宮と人は呼ぶ。
瑠璃宮の隣が矢作の君、二つにかしずくように控えめに光る月を、弓削の君と親しみを込めて人々は呼ぶ。
三つの月が揃う満月の晩に、千年以上のときを経たものの影を通ると、この世で唯一、あらゆる魔法を操る魔法使いのもとへ行けると言う。
しかし、月は幻のようなもの。
空には魔法がかけられ、月の本来の姿を見ることは絶えて久しい。
だから、願いが強ければ。
強く願えば、魔法使いのもとに行けると、信仰のごとく人々の心に根付いている。
どんな代償も惜しまない人間だけが、魔法使いのもとに行きつけるのだ。

妖精はうっとりと目を開いた。
「つき・・・・・・」
微かに囁いた声を聞き漏らさずに、背後から包み込む腕。
「あぁ、お前は初めてか。そうだな、あれが月だ。今宵は格別光が強い。ひょっとすると、珍しい客に会えるかもしれないぞ」
窓辺に立つ妖精の姿はまるで童話の姫君のよう。
白銀の髪は柔らかく波打ち、床に付きそうなほどだ。
白磁の肌に、頬だけがうっすらと赤く、なまめかしい。
細い首筋は白鳥を髣髴とさせる気品を持ち、たおやかにわずかに仰のいている白い喉に口付けたいという欲望を煽っている。
白い夜着は細工物で、これひとつで小国の国庫が空になる、そんな豪奢なものだった。
それよりも何よりも、妖精の美貌は、嫉妬に月も堕ちるのではないかと思われるほどだった。
菫色の瞳はじっと見つめると色が揺らいでいるのがわかる。
朝焼けの空の色、夕闇の色、海の色、空の色、花の色、この世のありとあらゆる美しいものを閉じ込めた色だ。
白目の部分は清潔に青白いほど澄んで、瞳の色を引き立てる。
鼻梁はあくまでほっそりと、しかし形よくおさまり、唇へとなだらかに続く。
唇は白い肌に、そこだけくっきりと赤い。
中央に向って唇は赤みを濃くする。
ちらりと開いた唇の隙間から覗く可憐な舌は桜色。
「つき、くる・・・・・・?」
「そうだ」
無防備に妖精は自分を捕らえる腕の主を振り仰ぐ。
妖精と対を為すように、禍々しい美しさの持ち主。
漆黒の髪と、灰銀の瞳、比類なき魔力、智慧、この世のすべてを手中にする、けれど、何にも縛られない魔王、魔法使い。
魔法使いは妖精の腕を自分の首に絡ませ、正面から抱き寄せる。
磁力を持った瞳に正面から見据えられ、妖精は喘ぐ。
甘い吐息を漏らす妖精の頬を長い黒銀の爪で愛撫しながら、魔法使いは言った。
「月が、ふさわしくない月を連れてくるんだ」
妖精は答えなかった。
魔法使いの悪戯な指が、薄い絹の上から敏感な肌の上を撫でていったからだ。

ベルを鳴らしてドアが開いたとき、そこには偏執的な目つきをしたせむしの男が立っていた。
男は魔法使いの美貌を見て、唖然とし、それから早口でまくし立てた。
恋人が貴族に攫われた、ぜひ取り返して欲しいと。
魔法使いは代償を求めた。
男は何でも持っていくがいいと答えた。
「それではお前の恋人の愛を」
「それは困る」
「ならば、お前の恋人の命を」
「駄目だ!」
「では、お前の愛を」
男は魔法使いをにらみつけた。
「これならいいか?お前の命」
男は叫んだ。
「魔法使いとは名ばかりか!許せるものか!さてはお前は俺の恋人を取り戻すこともできやしない、ただの詐欺師だろう!」
魔法使いは髪をかきあげる。
長い黒髪がさらりと揺れて、手首に幾重にも巻かれた銀鎖がちらりと光を弾き、シャラシャラと鳴る。
「詐欺師とは、これいかに。真実を語らぬ男に言われる筋合いは無いと思うが。私はお前の鏡のようなものだ。お前の望みはすべて知っているよ。本当のことを言ってごらん」
いっそ魔法使いの口ぶりはこどもをあやすように優しい。
男の奥歯がギリと鳴った。
「魔法使い、小鳥が・・・・・・猫に驚いて鳴いているうちに、声が嗄れてしまったみたい」
男がはっと声のしたほうに目をやる。
奥の扉から、月光の化身が姿を現している、男は思った。
小さな銀の鳥かごを持っている、妖精はかごの中の美しい小鳥がしゃがれた声で鳴くのを心配して、魔法使いの言いつけを破って契約の間に入ってきてしまったのだ。
妖精を見た男の目に欲望が燃え上がる。
この美しい生き物を、汚してしまいたい。
床に引きずり倒し、服を破り、白い肌に赤黒い痣を残し、誰も触れたことのない両足の間に欲望をぶちまけて・・・・・・。
男の欲望の生臭さに、魔法使いは鼻をしかめる。
作り物じみた美しさに毒が加味される。
「おいで」
小鳥がギィと鳴く。
怯えた目の妖精は魔法使いの腕に飛び込む。
「この子は私のものだよ」
体も、心さえ。
「お前が見てよい生き物ではない。お前のような汚い魂の人間は、これを見ただけで煉獄に落ちるよ。罪深いことだ」
「なっ・・・・・・!」
妖精は魔法使いの膝の上に抱え上げられる。
魔法使いの首筋に顔を埋め、小さく肩を震わせた。
「かわいそうに。お前の美しさはお前の罪ではないのに」
男は魔法使いに手を伸ばした。
その手が指先から弾けた。
「うぐぁああっ!!」
男の上は肘から箒のように細切れになっていた。
肉の間から、白い骨片が血に塗れて落ちる。
床は男の血を拒否した。
激しい煙を上げて、血が、骨が、肉が燃え上がる。
「そのまま燃えろ。燃えて死ね」
魔法使いは男にこれ以上の慈悲を与えなかった。
ただ、震える妖精の背を宥めていた。
奥の扉の開いた隙間から、灰色の毛皮の猫がするりと入ってきて、床の上の灰を赤い舌ペロリと舐め、ニャアと一声鳴いた。

「恋人なんてでたらめさ。あいつは町で見かけた貴族のご令嬢を踏みにじりたくて仕方なかったのさ」
魔法使いが言うと妖精は首を傾げた。
まだ月は天高くある。
「あんな来るはずのない客が来る。月はお前に嫉妬しているようだ。わざわざ汚いのをよこしたな」
魔法使いは寝台に身を横たえる。
まとう夜着に、しなやかな筋肉の動きが艶めいて浮かぶ。
長い黒髪が背中を流れ、黒い絹のシーツの上に広がる。
露になった鎖骨の形も美しい。
「魔法使い・・・い、一緒に寝るの?」
「いやか?」
「だって」
妖精の目尻がうっすらと赤くなる。
「変なこと、しない・・・・・・?」
魔法使いは唇の端に笑みを浮かべて、言葉の続きを待っている。
「魔法使いに触られると、僕、変になる・・・・・・」
体の芯が熱くなる、心臓が、どきどきと激しく脈打つ。
魔法使いが手を伸ばすと、妖精はその指に自ら囚われる。
「変になってもいいんだ。俺だって変になってる。月のせいだ。天に月が三つも揃ってる、お前は記憶が飛んでる、ここには俺とお前しかいない。神も俺たちを罰しない。変にならない方がどうかしてる」
魔法使いは自嘲的に笑う。
妖精は知らない。
魔法使いのことも世界のことも。
無知は免罪符だ。
魔法使いには逃げ場はない。
「お前が正気に戻れば、蜜月はおしまいだ。こんな短い間くらい、お前を味わっても許されるだろう?」
妖精は羽化を繰り返しながら変化し続ける。
変化の後は月が一巡するまで繭の中で眠る。
無防備になる精神と体を侵されないために。
魔法使いの妖精に繭はない。
片時も、離れることは許さない。
無防備な体と心、預けられた欲望の果実を、じっくりと味わう。
「俺もあの男と同じだ」
自分のためだけに、美しい存在を変えてしまいたい。自分なしでは生きていけないほどに、すべてを支配して、求めつくしてやりたい。美しい顔が、支配者である自分の前に屈服し、歪ませられる。求めずにはいられないようにしてやりたい。
快楽、あらゆる感覚で、自分を覚えこませてやりたい。
「ま、ほう、つかい・・・・・・?」
月が消えれば幻はうせる。
その月さえも幻のようなもの。
この手に残る感触だけが真実。
きつく抱きしめた。
手のひらの下の熱く張り詰めた瑞々しい皮膚。
透き通る水晶のような瞳が映すのは、ただひとりだけでよい。
月が消えれば、腕の中のぬくもりは消える。
「黙って・・・」
魔法使いは妖精の唇に冷たい唇を重ねる。
月の光すら届かぬ腕の中に、今だけは時を抱きしめる。
031104

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