未生怨

 ――引きずり出して、潰してしまえ。

 しまった、殺してしまった。
 僕は両手で包丁の柄を握りしめていた。包丁の銀色の刃は、見事についた液体を弾いていて、表面には殆ど痕跡が残っていない。僕が握りしめた柄と、僕の手が赤い。
 僕は肩で息をしていた。ぜえぜえと耳障りな音が続いていて、僕は、ようやくそれが、自分の呼吸だと気づいた。
 頭ががんがんと痛み、心臓は口から飛び出そうなくらいに鳴っていた。
 特に、手応えはなかった。いつもよく――が――研いでいたから、――「言うことを聞かなかったらわかってるでしょうね」――刃の薄くなった包丁は、柔らかく弛んだ肌に食い込んで、破けさせ、内側の脂肪の層に突き進んでいく。
 腹膜を裂き、内臓に突き刺さる。刃先が全て飲み込まれ、侵入は止まる。柄がストッパーになったのだ――僕が渾身の力で握っていた包丁の柄が。赤く濡れた柄が。
 死はただ、僕が握る柄と、異物を受け入れた肉体の間でだけ起こった。
 ああ、しまった、やってしまった。とうとう、虫を殺してしまった。
 目が回る。ぐるぐると回る。赤い血と、黄色い脂肪と、白い骨、蠢く虫たち。
 ぐるぐる、赤い世界が回る。

 ぐるぐる。

「幸彦、支度をしなさい、遊園地に連れて行ってやろう」
 私が言うと、息子は不安げな顔を一瞬にして笑顔にした。
「メリーゴーランド! ぐるぐる回るの!」
「そうだな、メリーゴーランド乗ろうな」
「……ママは?」
「ママは遊園地で待ってるよ」
 私の息子は、とても賢い。彼は、私の言葉をようく理解して、身体には不釣り合いに大きな頭をこくんこくんと振った。

 こくんこくん。

「早く食べなさい」

 お母さんの声がして、僕はこくんこくんと頷く。
 お母さんはぼくにいつも茶色いご飯を食べさせようとする。その方が身体にいいからって、でも、噛むとぷちぷち潰れるのが、虫の頭をつぶすみたい。
 白いご飯が食べたいというとお母さんは怒る。

「あんたのためを思って作ったご飯にわがままいって、茶色いご飯の方が健康にいいのよ、だから食べなさい」

 お母さんは、箸を持ったままの手で、僕の頬を叩いた。箸がごりっと僕の頬の骨にぶつかる。テーブルの上で食器が飛び跳ねる。

「白いご飯なんてほら虫みたいじゃない。知っている蛆虫? 蠅の幼虫よ、白くて、小さくて、丸っこくて、うねうね動いている。死体やうんちから湧いてくるのよ。あんたはそんなもの食べたいのね」

 でも白いご飯はいいにおいがするよ、おいしいよ。

「バカな子! わがままで悪い子! お母さんの言うことを聞かない悪い子! 悪い子! 悪い子! 悪い子!」

 茶色いご飯はそのうち、白いご飯に変わった。お母さんは仕事を始めて忙しい。
 お母さんは、忙しい。
 お母さんは、忙しい。僕のせいで忙しい。
 僕が悪い子だから、お母さんは忙しい。
 僕が悪い子。

「あーっ! どうしてあんたはそうやってお母さんを困らせるの! 本当に悪い子なんだから!」
「どうしてご飯を床に零すの。またおしっこをパンツにして。早く寝なさい。着替えくらいひとりでして。お風呂で遊ばないで。おもちゃを片付けて。また汚して。お母さんを放っておいて、うっとおしい、あっちへ行っていて」

 いい匂いがして、温かくて、甘い。透き通るみたいに白い。
 お母さん。

「早く食べなさい」

 茶碗の中には、白い蛆虫が蠢いている。僕は一匹を摘まみ上げた。箸先で、蛆虫が身体をくねらせる。

 お母さん、虫。

「お母さんは忙しいから後にして」

 僕は目をつぶって蠢く虫を口に入れ口に入れ、もぐもぐと咀嚼した。

 もぐもぐ。

「ちゃあんともぐもぐしましょうね。もぐもぐ、もぐもぐ!」

 ピンク色のエプロンの先生が、僕の頭を抑えつける。顎を開けさせて、そこにスプーンに山盛りにした給食を詰め込む。
 お肉は食べたくない。なんだかくさいもの。

「好き嫌いはダメよ。残さず食べなさい」

 虫に餌をあげないで。
 卵から虫が孵化したばかりの虫たち。目も足も耳もない、口だけの虫が、僕の身体をすみかにしている。
 奴らは僕の身体の中に、肉からできた糞尿をまき散らす。きっと僕の身体の中は、虫と、虫の糞尿でいっぱいだ。

「あっ、先生、この子吐いちゃった」
「いいよいいよ、もう一回口の中入れちゃえば」

 先生は僕の鼻を摘まんだ。息が苦しくなって口を開けた時に、口の中いっぱいに酸っぱくて苦くてどろどろしたものが入ってくる。
 茶色くて、どろどろして、苦くてすっぱい。

「窒息するよ、先生」
「大丈夫、大丈夫」

 ピンクのエプロンが涙でにじむ。先生の大きな手が僕の鼻と口を押さえている。僕は必死で口の中の汚物を飲み下す。

「ほら、食べられるじゃない。わがまま言わないで食べなさい」

 口の中がかゆい。喉がかゆい。お腹がかゆい。かゆい。身体の中を虫が這う。あいつらは、僕の胃を滑り台にしてる。ウォータースライダーみたいに、きちんと順番をつくって、僕の胃液を使って粘膜を滑っていく。
 僕の腸を迷路にして遊ぶ。腸壁を食い破り、迷路は更に複雑になる。太りきった虫たちは、ぶよぶよと蠕動する全身に粘液を纏って、ぎざぎざの歯でお互いを食らいあう。

 ぎざぎざ。

「また手遊びか!」

 僕は慌てて手を放した。先生が、僕の手を掴み上げる。ぎざぎざになった爪を見て、教師は顔つきを一層険しくして、脇から引き千切られそうなくらいに高く引っ張り上げた。その拍子に、げぷ、とおくびが出る。先生は僕のおくびの音を聞くなり、僕の横面を殴った。
 耳がきーんとなる。

「馬鹿にしてるのか!」

 げぷ、と続いておくびが出て、教師は次は反対の頬を殴った。頭が揺らされ、視界がぶれる。ぐらぐらと。
 僕の腹の中の虫たちがぐらぐらと笑っている。虫たちは丸まると肥え太って、僕の身体を重たくさせる。出したくもないげっぷをさせる。お腹は始終壊れていて、僕は休み時間の度にトイレの個室に飛び込まなければならない。
 先生は掴み上げたままだった僕の手を、自分の顔の前に持っていき、まじまじと眺めた。

「こんなに噛んで、お前に爪はいらんのじゃないか」

 先生は、先生の硬くて厚い爪を、僕の指の爪と肉の間にこじ入れた。
 僕の爪の先端が肉から剥がれる。みるみる血が浮いたが、先生が手を放すと、血の噴き出る傷口はすっかり爪と肉の間に隠れた。

「まったく、どうしてお前は先生の言うことがきけないんだ」

 午後の教室、クラスメイト達は始まった見世物に興味津々だ。
 先生は、ポケットの中からシャーペンを取り出した。そこから芯を抜く。

「お前は本当にやることなすことグズだな。給食は時間通りに食べられないし、運動も勉強もできない。だから、先生が指導してやる」

 みんなが先生に頷く。先生は得意げに教室を見渡して、宣言した。

「言うことを聞かないやつには、罰を与える」

 先生は僕の手を机に固定すると、その指の爪と肉の間に、ゆっくりと細いシャーペンの芯を差し入れていく。
 芯の黒い先端が、血を隠した爪と肉の間に潜り込む。ゆっくりと組織を貫いていく。
 痛い――もの凄く痛い。指先が焼け爛れてしまったようだ。痛みのあまり肩が、肘が震える。

「動くなよ、動いたら、途中で芯が折れて、爪の間に一生残るぞ」

 僕はぶるぶる震えながら首を振った。先生が芯の一本を差し込んだまま、二本目の芯を取り出す。もう一本の指の爪と肉の間に、新たな芯が差し込まれ、じょ、と股間が濡れた。
 痛みのあまり、僕は失禁していた。
 クラスがどっと沸く。クラスでも人気者の男子が、「きったねぇ~」と声を上げる。
 先生は素早く僕の指からシャーペンの芯を抜いた。僕が座る椅子を中心に、尿が広がる。先生はそれを避けた。

「全く、汚らしいな、お前は」

 ぶるぶる。

「お前は虫けらなんだよ」
「なーなー、虫けらのけらって何?」
「しらねーよバーカ、ははは」

 僕はトイレの床に這いつくばって、ぶるぶる震えながら、便器を舐めていた。
 丸い金隠しに抱きつく僕の背中は、上履きで踏まれている。
 学校のトイレの便器には、いつも誰かの糞がこびりついていて、灰色のタイルは、飛び散った尿で濡れていた。上履きの底の模様が濡れて残っている。僕の背中にもきっと、同じ模様が染みている。
 僕はくさい。くさい。不潔。気持ち悪い。
 早くトイレに行け、あいつまた個室入ってんの。
 信じらんない、よらないで、気持ち悪い、最低。

「もっと汚れてんとこあんだろが、あぁ?」

 髪の毛を掴まれて、頭を便器の水たまりに押し込まれる。
 便器の水は、ただの水道水である。だから、鼻を刺した饐えた匂いは、便器にこびりついた糞尿と、掃除の度にまくクレゾールの混ざった匂いなのだ。かえってこの水は清潔だ。虫がうじゃうじゃいる僕の腹の中より清潔だ。
 僕は床に、たった今飲んだ水を吐き出す。一緒になって、僕の口から虫が出てくる。
 びちゃびちゃ! びちゃびちゃ!

「げえ、こいつ吐いた」

 次から次へと、僕の腹の中の虫たちが、便所水と一緒になって出てくる。便器の水たまりで、虫たちが、くねくねと足を上げているのか、頭を上げているのか、躍る。
 ああ、何て虫たちは大きく育ったんだろう。僕の腹の中で、最初は一センチにも満たなかった白い手も足も顔もない虫は、まるまると太って立派なカブトムシの幼虫くらいある。

「あー、いーけないんだーいけないんだー、ちゃんと自分で掃除しろよな」

 身体を支えようと、便所の冷たい床に突っ張った手の下で、僕の吐き出した虫がぐちゃっと潰れた。

「制服が汚れたらかわいそうだから、脱がしてやろうぜ」
「とか言って、お前、それ、ズボンじゃん」
「これ写真撮ってとかさぁ、ドラマみたいじゃね?」
「そんなことしなくても、俺達友達だろ?」
「ひーっ、いっちょ前に剥けてんの。超ウケるんだけど」

 ぐちゃっ。

 僕の手で虫は潰れる。僕は虫を潰す。虫は僕を潰す。虫は虫を潰す。
 虫は僕を僕が虫を僕は。
 僕は潰し続ける。ぐちゃぐちゃと。
 そしてやがて、虫は潰れて、いなくなったようにも思った。
 僕は僕を僕が僕を僕は。
 僕は年を取り、年老いた両親を田舎において、僕は都会で就職した。結婚をし、子供も生まれた。
 あっさりと虫はいなくなったかのように。
 白い柔らかい、あの虫たち。

「また余計なことばっかりしやがって」

 上司は私の作った書類を床に落とし、それを足であっさりと踏みつぶした。

「お前は俺の言う仕事だけしてりゃいいんだよ」

 他の社員が見守る中で、上司の恫喝は続く。
 私は上司が潰してから蹴り飛ばした、書類をしゃがんで拾おうとした。

「けっ、みじめだねぇ。言い返しもできないのか」

 上司が軽く私の脇腹を靴で蹴る。びっくりして飛びすさった拍子に、私は床に転がってしまった。
 背中が女子社員の机にぶつかる。書類が、完全に僕の身体の下で捩れてぐちゃぐちゃになる。

「ぷっ」

 最初は小さな笑い声が、どんどん大きくなる。

 あ、蛹。
 虫は完全変態する。
 あのふやけたように白くぶよぶよして丸まると肥え太った幼虫は僕の中で蛹になって、固く中に溶けたからだを閉じ込めて、ぐちゃぐちゃ、どろどろ、ねばねば。
 蛹、蛹、蛹。

「みっともない」
「流石にあれはねえ」
「おどおどしすぎだし」

 私を除いた全員が、楽しそうに私を指さして笑う。
 残業に次ぐ残業。接待に連れ出されれば、強くもない酒をしこたま飲まされ、笑いたくもないのに媚びへつらう。
 私は、何とか立ち上がる。私を嘲笑う聴衆に、卑屈な会釈をしながら。

「まーた、にやにやして。気持ち悪いんだよ、お前は」

 上司は明らかな蔑みの目を私に向けて、「全くクソの役にも立たねぇな」と言った。

「蛆虫野郎。いっつもにやにや、にやにやしてよ」

 にやにや。

 ぐちゃっ、ぶるぶる。
 ぎざぎざもぐもぐ。
 ぐるぐる。

 にやにや。

 耳鳴りが止まない。うるさい。
 また、うるさい。

「言うことを聞かない悪い子は、ずっとそこに入ってなさい!」

 ダイニングテーブルには、食べかけの夕食がある。妻は押し入れの閉まった襖を見て、にやにや笑っていた。

「あら、お疲れ様、お帰りなさい。またいらいらしてるの? やっぱり砂糖の取り過ぎなんじゃない? だからあたしの言うとおりに」

 にやにや。

「パパ……? パパ、やめて!」

 僕の手には包丁があった。僕はそれを、目の前の顔に振り下ろした。
 びしゃ!

 びしゃ。

 ゲートから入ってすぐの広場の噴水からは水がびしゃびしゃと溢れ出ていた。背後で、遊園地のゲートががつんと音を立てる。
 虫は、消えたわけではなかった。蛹になって、羽化の時を待っていただけだった。

「パパ! あれから乗る」
「幸彦、あんまり走ったらダメだぞ」

 親子二人連れに、お供はキャリーバッグ。ころころとアスファルトの地面を転がる。
 大方の乗り物の塗装は所々剥げ落ちていて、雨ざらしのせいで機械部分には錆も浮いていた。
 そのうちの幾つかには、更に『運転休止』の札がかかっていて、この遊園地が充分に満たされていないことを伝えてくる。従業員も、運転資金も、客も足りていないのだ。
 幸彦はまず、一番にメリーゴーランドに乗った。
 メリーゴーランドの白馬たちの目は、ちぐはぐに描かれ、どの一頭とて、左右の目はそれぞれ好き勝手な方を向き、焦点があっていない。
 調子の外れた音楽が流れる。幸彦の他は、数人しか乗っていないメリーゴーランドが回る。

 メリーゴーランド、ジェットコースター、息子は次から次へと、遊園地内の遊具を回っていく。
 帰る頃にはキャリーバッグも軽くなっていて、急に電池が切れたように疲れを訴えた息子を、私は背中に乗せた。

「お母さんは?」
「うーん」
「……お母さん、僕がご飯食べなかったから、いなくなっちゃったの?」
「押し入れの中は怖かったか」
「でも、ママいつもすぐ出してくれるもん。そんで、怒ってごめんねって、だっこしてくれる」
「……本当は、ママも遊園地に来ているんだ」
「えっ!? どこ? どこにいるの?」
「ママはね、虫になっちゃったんだ。虫の姿で遊園地に来ているから、幸彦には見つけられないんだよ」
「虫になっちゃったの? じゃあ、本当のお母さんはどこにいるの?」
「虫になっちゃったんだよ」
「やだよ、お母さんに会いたいよ」
「そうだな、虫の子供は虫だもんなあ。じゃあしょうがないなあ」

 妻は特別美人でもなく、私と同じように、弱くだらしなかった。優しさもないわけではなかった。支配的でないわけでもなかった。
 その妻と、私と、息子の三人で、つましく暮らした家。
 旅行に行く余裕もなくて、それでも休みの間、息子をどこかに連れて行ってやりたくて、選んだのは地元のさびれた遊園地だった。そういう思い出。
 最後に選んだのはミラーハウスだった。鏡と鏡が合わさった隙間の果てしない深さ。
 鏡に映った幸彦と私は、影になって家に帰る。
 夕焼けを背負って、息子を背負って。
 とぼとぼ歩く。遊び疲れた息子の寝息が、耳を擽る。
 すうすう、すうすう。
 何度耳を澄ましただろう。幸彦、赤ちゃんの頃からお前の寝息に。
 私は醜く汚く、価値もなく、妻をやっと得て、息子に恵まれて、ひとりから夫婦に、夫婦から家族になった。
 私は、小さく小さく、身を寄せ合って、まるで、石の下に集まった小さな虫のように、私達家族は、ただただ、小さく、小さく。小さくなって。

 柔らかく小さな手、ぷっくりと肉のついた頬。
 私を見上げて、パパと呼んだお前。
 お前が吸い付く乳房。

 あなた、何するの、パパ、やめて。

 大きくあいた口、喉の奥に、白い虫が蠢いている。

 それは、いい匂いをして、甘く、柔らかく、温かい。

 僕はお前だ。

 お前は私だ。

 私は僕に、僕の腹に刃を突き立てた。
 瞬間、滑らかに膨らんだ腹が裂けて、大量の大小様々の白い幼虫と、羽と大きな複眼を持った羽のある虫が溢れ出る。

「あ、あ、あ、ああ、あ、ああ、あ、あ」

 すっかり出してしまわなければ! 幼虫を踏みつぶし、拳でたたきつぶす。羽虫は、ぶんぶん羽を鳴らして私の周りを飛び回る。私は羽虫を追い払おうと、手にした刃を振り回す。

「死ね!」

 虫はぶんぶん飛び回って、なかなか殺せない。

「死ね! 死ね、死ね死ね! 死ね!」

 私は呪文のように唱えながら、虫がうぞうぞと這い出る腹に、何回も包丁を突き刺した。包丁ががつんがつんと肉を通り抜け、下の床に突き刺さる。包丁の刃がこぼれる。

「まだ! まだこんなに! こんなにいる! 死ね! 死ね! 死ね、虫! お前なんか殺してやる!」

 私は宙を飛ぶ羽虫にも包丁を向ける。無数の小さな羽虫の群れを包丁で切り裂き続けた。

「しね!」

 死ね。

 どれくらい経ったのだろう。私は真っ赤な部屋にひとり立っていた。
 壁一面に赤い模様が描いている。息子ならまるで、メリーゴーランドのようだと言うかも知れない。ぐるぐる、赤い景色が回る。
 その私の足下に、あどけない顔に虚ろな目をぽっかりと開けて、息子は死んでいた。

「あ」

 私は屈み込んで、震える手で息子の頬に触れた。息子の頬はまだ温かかった。

「あ、あぁ、あ、あ、ママ、ママ、幸彦が……」

 答えはない。部屋の汚れは茶色と赤が混じっていた。

「……ママ……?」

 ――妻はどこに行ったのだろう。

「幸彦」

 息子はどこに行ったのだろう。私は自分が膝に抱えたものを見て、激しい吐き気に襲われる。
 それは、醜く切り裂かれて死んだ大きな蛆虫だった。

 ――どうして、この蛆虫は、私の息子と同じ顔をしているのだろう。

 息子が生まれるのを待った夜更けの時と同じように、私は息子の顔をした虫の死骸を抱いて、神とも知れぬ何かに祈った。
 いや、ずっと、ずっと祈り続けていたのだ、叶えられぬまま。

 狭い肉のトンネルを、頭蓋を軋ませてひり出される歪んだ生き物。苦痛とともに生み落とされ、苦痛のままに生きる。
 喉に詰まっていた羊水を吐き出して、無力な手足を踏み潰された虫のように蠢かせて、僕は泣き叫ぶ。

 助けて。

 犯人の父親自殺 無理心中か? A県B市

 A県警捜査一課とB市は、今月一〇日に起きた遊園地遺体遺棄事件で、同市在住の会社員 伊藤 政彦容疑者を、被害者である妻 伊藤 洋子さんを殺害、遺体を遺棄したとして、被疑者死亡のまま、本日付で事件を検察に送致した。
 調べによると、伊藤容疑者は妻 洋子さんを一〇日に殺害。遺体の始末に困り、殺害の翌日十一日に切断した妻の遺体をB市郊外の遊園地に遺棄。更にその翌十二日、伊藤容疑者は自宅マンションにて、息子の幸彦くんを殺害後、自殺したとされる。伊藤容疑者と幸彦くんの遺体は死後一週間が経過して、現場となったマンションで発見された。幸彦くん殺害容疑についても捜査が進んでいる。
 同マンションの住人は、取材に対して「いつも幸せそうなご家族でした。幸彦くんを挟んで、親子三人で手を握って、散歩をしている姿をよく見かけました」と語った。
 犯行の動機はわかっていない。

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