キッスは目にして

静雄には気になる女子生徒が居た。シズオの席から二列挟んで斜め前に座る、緋沙加というその女子生徒は、シズオに凛とした横顔から続く白いほっそりとした首筋を見せ付けるようにして、いつも俯いてノートにシャーペンを走らせていた。仄かに発光しているのではないか、だからシズオの瞼の裏にはいつもヒサカの白い首筋が焼きついている、そしてヒサカはシズオを誘っている。この首筋に口付けしたくならないの。張りのあるしみひとつ無い皮膚に野蛮に食らいつき、赤い血を啜りたくならないの。ヒサカはシズオを試している。シズオのヒサカへの愛を。だからシズオはヒサカの望むとおりにしてやろうと思った。機会は存外に早く訪れて、それすらもヒサカがシズオを急かしているのだと思うと、早くヒサカを殺してやらなければならないと心が沸き立った。体育館倉庫にバスケットボールを片付けるため、ヒサカはひとり授業後の体育館に残っていた。シズオはヒサカの背後から蛇のように音を立てず忍び寄った。シズオの両手がヒサカの、夢にまで見た白い首にかかろうとしたときに、シズオの後頭部が何者かによって強打された。シズオの意識は急速に遠のいていった。ヒサカの首の白さだけが、闇に沈む意識の中でやはり光を放っていた。

崩れ落ちたシズオの後ろ、薄暗い体育倉庫の入り口から入ってくる光を背に受けた、長身痩躯の人物。
「義兄さん・・・・・・」
ヒサカはシズオの背中を二三度踏んづけてから転がったバスケットを拾う男子生徒に恐る恐る声をかけた。義兄は一通りの武術を身に着けている。特に剣道に秀でていて、学園剣道部の部長でもあった。手刀であっても竹刀であっても、ヒサカの目に捉えられないほどのスピードで、義兄は敵を一撃で倒してしまう。
「バカな義妹のせいで貴重な休み時間を浪費させられている」
 銀縁の眼鏡のブリッジを押し上げながら、ヒサカの義理の兄、惟近は不機嫌に答えた。ノブチカの不機嫌は今に始まったことではない。ヒサカの面倒を見るように両親に頼まれてから、ノブチカはずっと不機嫌なのだ。
「ご、ごめんなさい」
「今時吸血鬼なんて流行らない」
 ノブチカは吐き捨てるように言った。

 ノブチカの父は対吸血鬼工作員なる仕事を生業としている。ノブチカにとっては忌むべき事実である。その父が、ある日ひとりの美しい女性とその幼い娘を連れて帰ってきた。仕事で出会った彼らは一目で恋に落ちた。ただし、彼女は吸血鬼だった。しかも、吸う側ではなく、吸われる側の。吸血鬼の中にごく稀に、ひとに吸血を催させる存在がいる。吸血鬼としては殆ど特別な能力を持たない彼らは、誰よりも魅了の力に優れ、圧倒的な引力でひとを惹きつける。惹きつけられた人間は、彼らの血肉を欲する。彼らの血肉を得れば、人間は魔道に落ち、彼らの永遠の下僕となる。彼らが望む望まないに関わらず。魅了された人間達に手加減なく貪られ命を落としたものも多く、彼らの絶対数は少ない。無力であるのに、自分が獲物であると常に狼煙を上げ続けるような矛盾を、彼らは彼らを保護する吸血鬼が守ることでやり過ごしていた。義母となった女性も、その娘ヒサカも吸血鬼だった。義母は父と愛し合ったことで吸血鬼の庇護を受けられなくなり、父は、義母とヒサカを守ることを固く決意していた。以来、ノブチカも彼らが身を守るための戦いに引きずり込まれてしまった。蛇足だが、父にも義母にも生活能力は皆無であり、家族の生活費はノブチカが父の名義で株をやって、ノブチカとヒサカが進学、就職する頃まで潤沢に蓄えてある。
ヒサカは眉をハの字にして、義兄の様子をこっそり伺う。ノブチカには常々言われていた。『吸血鬼が普通の学園生活を送ろうとするのが間違っている』何度もこうしてノブチカに助けられているのだ。全く反論できない。ノブチカは学園の生徒会長もしている。容姿端麗、文武両道、非の打ち所の無い男だ。対して、ヒサカはといえば勉強は苦手、運動はもっと苦手と来ている。友達も多いほうではなく、どちらかというと教室でぽつんと本を読んでいるタイプだ。けれどもヒサカは学校に通いたかった。母と二人で隠れ育ってきたヒサカにとって、学校は憧れの世界だったのだ。
「ノブチカ義兄さん、いつも迷惑かけてごめんなさい」
「学校を辞める気も無いのに謝るな」
「義兄さ・・・」
「首を出せ」
ノブチカが学生服の襟を緩め、眼鏡に手をかけた。ヒサカは震える指で自分の体操服の襟ぐりを引っ張り、長い髪をひとつにまとめて肩に流した。
「少し血を流せば、落ち着くだろう」
ヒサカの両肩をノブチカの手が掴む。ゆっくりとノブチカの歯がヒサカの首に食い込んだ。

おにいちゃん、からだがあついの。
おいで、いま、らくにしてあげるから。

ヒサカは自分の体が熱くなるのを感じる。持て余すほどの甘美な熱が、ヒサカの首筋から全身へと回っていく。
幼い日、吸血を誘う芳香を放ち始めたヒサカは、一番近くに居たノブチカを誘惑したのだ。

ノブチカは唇に残った血を舐め取った。ヒサカの首筋にはノブチカの牙のあとがくっきりと残されている。この白い首筋に、ノブチカだけが食らいつくのだ。ノブチカの目が鈍い光を宿していることに、ヒサカは気づいていない。ノブチカは喉の奥で小さく笑う。幼い日、こうしてヒサカの血を啜るところを両親に見つかった日のことを覚えている。両親の目に浮かんだ絶望。ヒサカの魔性とノブチカの堕落への絶望。彼らは、ノブチカが血に飢えた獣と化したことを覚悟した。しかし、ノブチカは変わらなかった。
一気に血液を抜かれたヒサカが、呂律の回らない口で、ノブチカを呼ぶ。幼い頃のように。
「おにい・・・ちゃん・・・」
ノブチカの全身が粟立つ。ヒサカを抱く手に力が篭った。再度、白いヒサカの首筋に顔を埋めかけたが、ヒサカの頬に自分の頬を擦りつけ、首筋の匂いを嗅いだ。血と、甘い肌の香りが交じり合った、何とも言えない芳香が鼻腔に満ちる。
ノブチカは何一つ変わらない。今も昔も。

チャイムが鳴って、シズオははっと周りを見回した。休み時間は終わっており、みんな席に着き始める。シズオも机から教科書を取り出した。頭がぼんやりしている。いつの間に休み時間が終わっていたのだろう。だみ声の教師の授業が始まり、いつものようにシズオはヒサカの席を見遣る。そこでシズオはヒサカの首筋に赤い傷跡を見つけた。虫に刺されたような赤い傷が上下に二つ並んでいる。赤い傷のあるヒサカの首筋は、光を放つことを止め、教室にいる生徒達のそれと大して変わらぬように見えた。近頃にしては珍しいほど授業に集中した。あっという間に終業のチャイムがなり、教室がざわつき始める。その時、教室の前のドアが開き、級友達の目がその人物に集中する。
「ヒサカ、帰るぞ」
この学園の生徒会長、ノブチカである。ノブチカがヒサカを迎えに来るのは毎日のことで、このクラスの女子生徒が一日の中で一番盛り上がる時間である。学園の王子様と憧れられるノブチカは、しかしヒサカ以外は一瞥もしない。ヒサカは顔を真っ赤にして慌てた様子で帰り支度をする。誰もがノブチカに目を奪われる中、シズオはいつもヒサカを見ていた。迎えに来たノブチカを見て、このクラスの誰よりも、ヒサカの目が輝いていることも、シズオは知っていた。見つめるだけの恋もそろそろ潮時だろう、そろそろ新しい恋を見つけるのもいいかもしれない。それにクラスの男子生徒は口に出したりはしないが、全員理解している。ノブチカがこうして迎えに来ることが、自分達を牽制しているということを。眼鏡の向こうの目が雄弁に伝えている。『俺の女に手を出すな』と。

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