やわらかな左手

やわらかな左手
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僕は魔法使いの弟子、魔法使いは優れた医師、国一番の智慧者、錬金術を修め科学の力でこの世を恣にし、あの世さえ高い霊力で支配する。この国では魔法使いは王より偉い。
僕は捨てられた妖精の子供、拾ってくれたのは魔法使い、それから僕は魔法使いのもとで暮らしている。
そして今日も魔法使いの家を訪ねてくる者がある。
僕は扉につけられた銀の鈴が鳴るのを耳を澄ませて待っている。
いつか、誰かが魔法使いから僕を解き放ってはくれまいかと、小さな期待を押し殺して。

そして今日も鈴が鳴った。
しのつく雨の午後、僕は魔法使いの膝の上で首を巡らせる。鈴の音に答えるように、僕の首輪の鈴が鳴る。
魔法使いは僕の頭を撫でる、繊細な銀細工が見事な宝石を引き立てる、白く長い指を止めた。
僕はしめたとばかりに、膝から飛び降り、ドアの扉を爪で引っ掻く。
「ミャア」
そっと開いた扉から滑り込んだ藤色の小さな影が、僕を抱き上げる。
「猫ちゃん・・・・・・」
藤色のレインコートに身を包んだ少女はまっすぐに魔法使いを見て言った。
「私の左手を切り落として欲しいの、魔法使い」
穏やかじゃない。
僕はその少女の左手に額をすりつけた。

魔法使いは腰まで届く長い髪を煩わしげに払いのけた。魔法使いは長い長い光を吸い込んで捕える黒髪に、灰色の瞳。長い睫はいつも伏せられている。それが面倒なことを嫌う魔法使いの癖だと僕は知っている。
魔法使いは薄く虹色に透き通る紙を取り出した。契約書だ。
僕はそれにサインさせまいと、魔法使いの手にまとわりつく。
「・・・・・・邪魔だ」
魔法使いは僕の背中に瑪瑙で作った文鎮を乗せる。
「フギャ!」
重い。
意地が悪い魔法使い、いつもの如く僕を苛める。
「かわいそうです。魔法使い。可愛い猫ちゃんに」
少女が僕の背中から文鎮を下ろす。
「初めて見たわ。青紫色の毛皮の猫なんて」
文鎮が無くなったのをいいことに、僕はもう一度魔法使いの手に爪を立てる。
魔法使いは長い睫を伏せたまま、僕の首を掴んでポーンと放り投げた。
「きゃあ!」
あっという間に僕の躯が猫から人型になる。少女は唖然。
驚かせてごめんよ。妖精なんて普通の人は見ることは無いまま人生を終える。
僕たち種族は様々な姿を持っている。猫でも、鳥でも、大体の動物なら大丈夫だ。
それと人型。僕の本当の姿は別にある。けれどそれは魔法使いに封印されているため、僕は魔法使いのもとに居ることを余儀なくされている。
早く本当の姿を取り戻して、魔法使いを殺してしまいたい。
僕は束縛されることを好まない。
僕は自由を奪う者を許さない。
「まぁ・・・・・・」
魔法使いは少女に契約書と鳥の羽のペンを渡す。
「契約を。お嬢さん」
今度は僕は邪魔できなかった。
人型になった途端、僕は魔法使いの魔法で金縛りにされていたのだから。

契約には名前が必要だ。
魔法使いの名前、契約者の名前、それから見届け人の名前。最後は、この場合僕になるわけだが、僕は信じる野姿と一緒に名前も取られているので、魔法使いに与えられた名前を記すことになる。
本当の名前かどうか知らないが、魔法使いの名前はユーノジア=ネイヴィス、契約者の名前は、
「リトゥワイア=スレイです」
エメラルドの瞳に蜂蜜の髪、レインコートを着たままの肩に巻き毛がこぼれ落ちる。
勝ち気そうな大きな瞳と、ぽってりとした桜色の唇がキュートだ。
僕は少女がさらさらと薄紙にサインするのを歯がみしながら見つめるだけだ。
「おい、とっととサインしやがれ。こののろまが」
ユーノジアの乱暴な物言いに少女がぎょっとする。やっと僕は金縛りが解け、
「わかったよ・・・・・・」
渋々サインする。どうやら少女はこの契約に全く躊躇いがないらしい。
僕の名前はモルテ。古い言葉で『死』という意味だそうだ。
魔法使いらしい意地が悪いやり方。
「それで、お嬢さん?どうして左手を切りたいのか理由を教えてくれないか」
少女はぎゅっと膝の上でレインコートを握りしめて、ぽつぽつと話し出した。
僕はそのレインコートの裾から滴がぽたぽたと零れるのを見ながら、ユーノジア、レインコートくらい脱がせてやればいいのに、と思っていた。

「私の・・・私の左手はいつか私の一族の者を殺します。そういう夢を見るのです」
リトゥワイアはとても低い声だった。
「夢の中で、私の左手は大きな鉈を持っています。それを軽々と振り回し、父の首を切り落とします。その次に眠っている弟を、弟の隣に眠る母を同じように殺します。それから私は血だらけになった躯を拭いもせずに、真っ赤に染まった絨毯の上を歩いていきます。そして次に私が狙うのは・・・・・・」
「もういいよ」
僕は彼女を遮った。
「夢の話だよ。ただの夢。そんなことでこんな悪徳魔法使いと契約なんてしちゃだめだよ」
少女は怯えている。震える唇で続けた。
「でもね・・・怖いの・・・・・・怖いの・・・・・・血の臭いも、肉の手応えも、骨の硬さも、全部この左手が憶えているの・・・・・・!毎晩毎晩私は家族を殺すわ!もう、もうそんな夢見たくないの!」
リトゥワイアは十二歳だと言った。
この国で女の子の成人は十三歳。だから決して子供じゃないのだけれど、それでも彼女には酷すぎたのだろう。
当たり前だ。普通の大人だって、そんな夢には耐えられない。
僕はといえば、血を見ただけで気を失ってしまう質なので、もうそんな夢を見たらどうしようもないのだけれど。
ユーノジアはその薄い唇を持ち上げた。
不思議なほど薄い紅の形の良い唇が笑いを浮かべる。
「それは随分と興味深い」
「ユーノジア!!」
また悪い癖を出して、と掴みかかる僕の躯を簡単にねじ伏せる。
膝の上に僕の躯を載せ、ウエストにその腕を回し押さえつける。
間近に迫る神が細工を凝らした傑作の美貌。
僕はその滑らかな青白い頬を押しのけようとするが、その抵抗さえ押さえつけられる。
「お前は大人しくしてろ」
リトゥワイアは暴れる僕の顔に左手を伸ばした。
「こんなに、こんなに美しい人を私は見たことがない・・・・・・」
当たり前だ。僕は人じゃない。
「紫水晶の瞳、白磁の肌、月光の光を集めた銀の髪・・・あなたのような美しい人に触れたら、この忌まわしい左手も清められるのかしら」
ユーノジアが嘲る。
「そりゃぁ駄目だね、お嬢さん。こいつに触れても清められるどころか汚れるだけさ。こいつの見目がいいのはね、人間を誘惑してその命を奪うため。私はこいつが悪さをしないように見張ってるのさ」
ユーノジアは長い足を見せつけるように組み直した。
「魔法使いや魔女でさえ、こいつの顔に騙される。だから、私が、世界で最高の魔法使いである私がこいつを手元に置いているの。わかったかい?」
リトゥワイアが僕の頬から手を引こうとするのを僕は掴んだ。
ユーノジアが三日月のように笑う。
どっ光の奔流が繋いだ左手から流れ込んできた。
「う・・・ぁ・・・・・・!」
僕はそのまま気を失った。

僕は夜中に目を覚ます。
長い裾のネグリジェを着ている。髪をまとめていたリボンを解いて、ベッドの下を探る。
すぐに固い柄が触れた。
僕はそれをしっかりと左手に掴む。
髪をまとめていたリボンを、握った左手の上から巻く。取り落としたりしないように。
丸窓から星の光が振ってくる。
しばらくすると、雲に隠れ、静寂と暗黒が落ちてきた。
僕は寝室の扉を開け、スリッパも履かずに廊下へと滑り出る。
ゆっくりと階段を上り、最上階の部屋の扉をそっと開ける。
鼾をかきながら眠っている中年の男性。
僕はその男性の枕元に立ち、躊躇いもなくその首に左手を振り落とす。
ビュッと音を立てて、天井まで鮮血が飛ぶ。
僕はその血を頭から浴びる。
ベッドの中でびくびくと痙攣して、ことりと静かになった。
僕はそこを出て、その隣の部屋の扉を開ける。
大きなベッドのレースの中に、女性と子供が眠っている。
こちらの方が事切れるのは早かった。
子供は少し逃げたので、胴に一回と背中に一回、余分に左手を振り下ろした。
僕はその手を胸に抱える。
最後にもうひとり、もうひとり殺せば終わる。
僕は涙を流した。
とても嬉しくて。

「起きろ、ウスノロ」
「・・・僕にはちゃんとした名前がある・・・・・・」
「じゃぁ言ってみろ、お前の名前は何だ」
そこで僕は自分の名前が思い出せないことに気づいて、酷く悲しくなる。
「泣くな、くそったれ」
「泣いてなんか・・・・・・」
僕ははっと目を開けた。
そこは暖炉が青い炎をあげる魔法使いの部屋で、やっぱりユーノジアの膝の上で、僕はユーノジアの胸にもたれかかってめそめそと泣いていた。
ばっと躯を起こすと、リトゥワイアが心配そうに見ている。
「どうしましたか?」
僕はユーノジアを睨み付けた。
「わかったか」
ユーノジアは僕の足を掴みそこに頬ずりする。
わかるにきまってる。ユーノジアは僕を媒体にして彼女の夢を引きずり出した。夢は僕の体の中で凝って、宝石に結晶する。
宝石を取り出すのはユーノジアだ。
「さぁ、契約通り、君の左手を切り落とそう。それがどんな未来を呼んでも後悔しないね?」
僕は沈黙を守った。
僕は彼女が後悔すると知っている。
その魔力を持った左手を喪って、とてもとても苦しむことを。
けれど僕は彼女を止められない。
それが契約なのだ。
「えぇ。この苦しみから解放されるならば」
リトゥワイア、それは新しい苦しみの始まりだ。

リトゥワイアは左手をレインコートの下に隠して雨の中を帰っていった。
「そう拗ねるな。代わりに水晶の手もつけてやっただろう」
「あんたは意地悪だ」
ユーノジアはどんな女よりも美しい顔を無邪気に輝かせる。
「意地悪なもんかね。あの子の願いを叶えてやった。死の魔力と引き替えに」
彼女の左手に宿っていたのは死の魔力。それは今僕の体の中で結晶になりつつある。
「リトゥワイアには死の魔力が必要だった」
ユーノジアは愛しげに僕の頬を撫でた。
長い指が僕の顔を辿り、喉元へ突きつけられる。
「そう、病で長くない母の命を奪うために、麻薬に溺れ、酒に溺れ、暴力に耽る父を殺すために、父母を失う不憫な弟を父母と同じところへ送ってやるために。そして、家族を養うために、その躯を売って金を得ていた自分を殺すために」
僕はユーノジアの頬に手を振り上げた。
それは届かず、ユーノジアに抱きしめられる。
「死の魔力を失った彼女は、父親の暴力に耐え、母や弟を養うために売春を続ける。いつしか悪いヒモが彼女に父親が大好きな薬を彼女に与える。彼女は出来心から薬に手を出す。彼女は薬のために躯を売るようになる。そしてある日、家に帰ると病気の母親が弟の首を絞め殺し、首を吊って死んでいる」
耳元のささやきは低く官能的だった。
「薬の幻影に囚われた父親に犯され、ぼろぼろになった彼女は裏路地のゴミ箱の中に頭から突っ込んで死んでいる」
僕は耳を塞ぎたかったが、一纏めにされた両手はユーノジアにぎゅっと握られて自由にならない。
「お前も見ただろう。そこまで。終わりまで」
ユーノジアは僕に口づけて、舌を吸い上げた。
こんなとき、ユーノジアは僕をとても憎んでいるのだと痛感する。
キスは優しくもなく、ただ奪うだけで、僕に苦痛しかもたらさない。
その舌の間に、黒い石が結晶する。
「オニキス、か」
僕の中で宝石に結晶した魔力を、ユーノジアは舌で吸い出した。
「お前は悪い魔法使いだ」
ユーノジアは乱暴に僕の服を引き裂いて、床に押さえつけた。
僕の首筋にその牙を立てながら、ユーノジアは僕を責めた。
「そうやってお前が苦しむ様を見ていると、こんなに不快でもお前を側に置いていて良かったと思うよ」
ユーノジアの漆黒の髪が僕を閉じこめていく。
こうして魔力を結晶させる僕は、魔法使いには格好の道具という訳か。

僕は魔法使いの弟子、飼い殺しの妖精。
いつか誰かが僕をこの檻から救い出してくれる日を待っている。

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