不埒

 ――そうだね、普通だったら、そんな風に、生きていくんだよね。

 

 親はこどもが何をしているか知らない。子供はやがて大人になるが、それまでの間、大人が嫌う悪さをするものだから、きっと、見たくないのだろう。
 両親は、あの人達は、私と克彦が、彼らのいない家で、何をしているのか知らなかった。私の高校での評判も、克彦のことも、自分たちの耳に心地よいものしか、聞こうとしなかった。
 一年生と三年生で、同じ高校に在籍すれば、校内ですれ違うこともある。克彦は決まって、私を「織愛お姉さん」と呼び、姉に対する思慕を隠さなかった。取り巻きの女の子達や、目立つ男の子達――克彦の友人だ。私と違って、彼には友人が多い――を放り出して、私の元に駆けてくる。
 大きな体を躍動させて、私のところにくると、私に目線を合わせるために、克彦は少し腰を屈める。
 私は、克彦をつっけんどんにあしらう。校内では、男にルーズで性格の悪い顔だけの波多野姉、姉思いで人気者で男女ともにモテモテのイケメン波多野弟、という風に認知された。私のガリ勉体質だけは変わることなく、家では勉強を欠かさなかったし、授業態度も良かったのだが、ひとは本当に見たいようにしか物事を見ない。
 克彦は、シスコンだとからかわれても、「織愛お姉さん」に対する態度を一貫して変えなかった。中学からの同級生は「克彦はずっとあんなんだよ」と言い、克彦のガールフレンド達は、私に対しての悋気を、マウンティングの原動力にした。
 カナちゃんは、私が彼氏に簡単に体を許すことに対して、「相手を使った自傷行為」と言ってのけた。「だって、織愛は彼氏と別れても、新しい彼氏ができても、つまらなさそうにしてる」
 炯眼のカナちゃんは、土屋に思いを告げぬまま、その恋を閉じていた。彼女は自分のセクシャリティに悩んでいた。目下、カナちゃんがときめく相手は、同じクラスのユウナちゃんなのだった。
「カナちゃんは、ユウナちゃんに告白しないの?」
「どうせうまく行きっこないよ」
 この時、私が弟と寝ていると、カナちゃんに言えたら、彼女はユウナちゃんに告白しただろうか。相変わらず香港マダムみたいなカナちゃんには、絵のモデルか何かをしたら映えそうな独特の魅力があった。骨太で、がっしりとした体つきも、エキゾチックで、一部の生徒にとても人気があった。
 波多野姉とカナちゃんはセットで、少し集団から外れたところで、でも集団に許容されていた。高校生活とは、個性を見つけ、個性を認め合う課程だった。
「織愛、あたしは織愛のこと好きだよ」
「私もカナちゃんのこと好きよ」
「……こんな風に、特別じゃない好きは、簡単に言えるんだよな」
「そうだね、カナちゃん」
 簡単に言えるってことは、それまでってことなんだよね。

 克彦は、完全に忠実な私の犬として過ごした。もう朝夕匂いを嗅がせるなんてことはしなかったが、克彦は私の手入れをすることに執心した。
 恥ずかしい話だが、私の腋窩を白く保ち続けるのだって、克彦の仕事なのだ。私達は、それこそ「毛が生え揃わない」うちから、体を重ねていた。カナちゃんとエステで脱毛して貰うことを言い出した時は、克彦は渋い顔をした。「終わったときのやった! って感じが凄く好きだったのに……」しょげかえる克彦に、私は何と言ったらいいかわからなくなった。
 それと、ペディキュアも克彦のお気に入りだった。
 克彦は私をベッドに座らせて、大きな背中を丸めて、私の足を手に包み込む。最初は不器用にはみ出したペディキュアも、すぐに上手になった。
 男の子達は、私の足にきれいに塗られたペディキュアを見て、一様に興奮した。素朴な靴下の下に、剥き出しの欲望が隠されていたみたいでエロティックに見えたらしい。
 克彦はそのうち、ネイルアートにまで手を出し始めた。
「今度は何描いてるの?」
「ん? 見る?」
 覗き込むと、克彦は頭をどけた。私の足の爪は黒く塗られ、そこに白く細く書き込まれたのは、
「……何これ、蜘蛛の巣?」
「うん、きれいでしょ」
「嫌よ、虫なんて」
「知ってる? 姉さん、蜘蛛の巣ってね、縦糸と横糸があって、ねばねばした糸は横だけなんだって。だから、蜘蛛は、横の糸に引っかかった獲物を、縦の糸を伝って食べに行くんだって」
「どこで聞いたの」
「生物の谷山。授業で動画見せられた。獲物を押さえ込んで、オニグモ? 噛みついて、毒を入れたら、麻痺して動けなくなっちゃった」
「何?」
「蝶。それで、糸でぐるぐる巻きにしてさ、蜘蛛は巣穴に帰ってくの。蜘蛛ってさ、そうやって獲物を捕らえておいて、あとから消化液を獲物の体の中に入れて、溶かして中身吸うんだって」
「ぐろいし……。そんなの人の足に勝手に描かないでよ」
 私は克彦の頭を叩いた。
「でも、きれいでしょ。蜘蛛の巣」
 克彦が私の爪に描いた巣は、同心で広がる八角形だった。
 克彦は私の足が好きだった。匂いを嗅いだり、舐めしゃぶったり、どうしてそんなに足が好きなのかと聞くと、克彦は、
「こうやってしゃがんで、姉さんの足を持ち上げると、姉さんのスカートの中が見えるでしょ。俺、ずっとそれで勃起してたの」
「克彦!」
「それだけじゃないって。姉さんの足は小さくて、かわいくって、食べちゃいたいくらい」
「克彦」
 いつも、私はペディキュアが乾くまで、克彦の大きな体を太ももで挟んで、貫かれ、揺さぶられなければならなかった。
 一度セックスに持ち込まれれば、私は克彦に屈服するしか無かった。克彦は大きな手には繊細すぎる動きで、私を翻弄した。
 私は度々、絶頂の波に浚われて、前後不覚になった。
「好きだよ、姉さん」
「あっ……そこっ……いやっ……んっ」
 喘ぐだけしか能の無くなった、唇を克彦が塞ぐ。唾液はいつも蜜のように甘い。

 私達きょうだいが、二人とも大学生になってしばらくして、両親が二人とも交通事故で亡くなった。両親二人で遠方の実家に帰省する深夜の高速道路で、居眠りのトラックに突っ込まれたのだ。
 あの人達は、私達きょうだいの恨み言をきくことも、獣のように交わる姿を見せられることも無いまま、この世を去ったのだ。何て幸福なのだろう。
 両親の死に対して、何かしらの感慨を持つべきなのだろうが、私には克彦がいたし、克彦には私がいた。
 両親の遺産があり、住む家があり、私達はもうすぐ社会への門出が待っており、生活に困窮することも無かった。
 しかし私は、あの人たちの死によって、大人になることが間近に迫っていることに気づかされた。
 過ちが許されるのは、子供のうちまでなのだ。大人になってからの過ちは本当に許されない。
 それでも、私はずるずると、克彦と関係を持ち続けた。就職をして、会社の人と付き合ってホテルに行っても、一夜の情熱に身を任せても、学生時代とさほど代わりはなかった。 男達は私の冷めた態度に、憤慨したり悲しんだりして、去っていく。
 結局は家に帰り、克彦にヒールを脱がされ、ベッドに抱いて運ばれ、克彦でいっぱいにされる。淫乱な波多野姉は、家に帰れば波多野弟の|大事な姉《ダッチワイフ》になるのだ。
 もうすぐ三十になろうという年になっても、それは続いていた。
 一方、幸運なことに、私とカナちゃんと友人関係も続いていた。カナちゃんは、大学を卒業する頃に、ユウナちゃんじゃない別の女の子とつきあい始めた。
 私の二十八の誕生日。カナちゃんと私は、その日にお祝いのお酒を飲んだ。その時、カナちゃんはその子をパートナーにして生きていこうと誓ったことを報告してくれた。お互いの親にも紹介して、理解を得た。相手の将来にも責任を持ちたいと私に言った。
 そうだね、子供じゃないんだものね。
 もうすぐ三十だって。嘘みたいだね。気持ちは、今でも子供のままなのに。
 織愛はもっとしっかりしなよ。弟くんだって、もういい年だろうに。普通だったら、結婚とか、子供とか、あるんじゃないのかな。
 そうだね、普通だったら、そんな風に、生きていくんだよね。
 織愛が普通って似合わないけど。あ、あたしが言っても。
 ううん、カナちゃんは素敵だよ。好きな人のために、頑張ってる。
 織愛も早く誰かひとりをさ。
 いるよ、カナちゃん。私の、ひとりきりのひと。

**********

 車が止まり、私の意識は長い長い回想から浮かび上がる。車内の時計をのぞき見ると、一時間以上走っていたことになる。
 車が止まったのは、大型スーパーの立体駐車場の、最上階だった。夕飯時を過ぎて、客足も引いたと見える。閑散としていた。
 克彦は運転席から一度下りると、後部座席に乗り込んできた。
「……狭い」
「ごめんね、俺でかくって」
「じゃなくって、離れればいいでしょ」
「姉さん、離婚しよ、証拠もあるから、すぐできる」
「証拠……?」
「さっきの会話、俺、録音したし。興信所に調査も依頼してある。姉さんに有利に離婚させてあげるから」
「勝手にそんなこと……」
「だって約束したから。姉さんはちっとも幸せじゃない。だから、俺のところに連れ帰る」
 克彦の太い腕が巻き付いてきた。夏だというのに、車内は冷房が効きすぎていて、克彦に抱きしめられると、涙が出そうになるほど温かかった。
 あんたはちっとも私の気持ちを知らないんだから。
「結婚したいって姉さんが言うから、相手だって紹介したし」
「あの人は、克彦に張り合いたいだけでしょう」
「姉さんだって、わかってたのに、あいつと結婚したでしょう」
「浮気なんか、当たり前なんだから。私、タクシーで帰るから」
「帰さないって言ったでしょ」
 克彦は私の両肩を掴んで、円らな目でじっと私の目を見つめた。
「姉さんは、いつも、俺が何を考えてるか知らないんだから」
 克彦は言い捨てて、私の唇に自分の唇を押し当てた。結婚式の前夜以来の弟の味に、私は酔った。

 まるでセックスそのものみたいなキスをしてから、克彦は私を連れて車を降りた。
 私の足はふらふらで、克彦は私を抱きかかえるようにしなければならなかった。
「どこに行くの」
と私が聞くと、克彦は、「リンゴを買いに」と答えた。

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