真白きよそおい

「児玉さん、お疲れ様です」
都は明るく声をかけた。
「お疲れ様」
児玉は、軽く頭を下げた。
都は今年で二十歳、児玉は今年で三十四になる。小娘にも柔和な目元で会釈する、児玉はそういう男だった。
だから、都は純粋に児玉に好意を持っていた。
都が、このアルバイトを始めてから、もう早半年である。
一年浪人して、大学に入ってから、都が始めたアルバイトは、書店店員だった。
都は本が好きだったし、何より、この本屋は雰囲気が良かった。
文庫本を買って、それこそ七冊、八冊と買っても、嫌がらず、全てに丁寧にカバーをかけてくれる。
そして、笑顔で、「ありがとうございました」と見送ってくれる。
都は浪人生だった時分から、この本屋を贔屓にしていたが、努力の甲斐あって大学に受かり、さて、アルバイトでもしようかと思ったとき、頭に最初に浮かんだのがこの書店で働くことだったのだ。
面接のときに、にこにこと相手をしてくれたのが児玉だった。
『きみ、よく買いに来てくれるよね』
日々何十人、何百人と客の訪れる中、都のような客をしっかりと覚えていてくれたのだ。
それで、都は一遍で児玉のことが好きになった。
ひょろりとした体つきで、眼鏡をかけた児玉は、一見頼りなげだったが、仕事となるととても頼もしかった。
運良く面接で受かり、児玉と同じフロアで働くようになって、都は児玉の有能さを知った。
児玉に限らず、フロアの仲間たちは、みな気のいいものばかりだった。
三十路に突入したことを何かと嘆くが、「男なんていらないわ」とばかりにしゃきしゃきと威勢のいい反町、映画が趣味で都によくお勧めの物を貸してくれる橋本、他にも都と同じ、数名の学生アルバイト。
都自身、失敗しても、それにめげることなく、確実に進歩しようと努力する性質だったから、ただでさえ面倒見のいい彼らは、都をよく可愛がった。
児玉はその最たるもので、都を娘のように可愛がっていた。

ある日、あまりの子ども扱いに都が児玉を、『児玉さん、私もう二十歳なんですけど』
と恨みがましく見上げると、児玉はその都の顔に、相好を崩し、
『その顔がうちの娘にそっくりなんだよなぁ・・・・・・』
と朗らかに笑った。都もそれにつられて笑った。
『もぉ、児玉さんちの娘さん、まだ二歳じゃないですかぁ』
都のちょっとした仕草が、目に入れても痛くないほど可愛がっている愛娘にそっくりだったと、しばしば児玉は仕事中の厳しい頬を緩めた。

そんな児玉であったが、最近になって、表情も暗くなり、疲れた様子なのが、都は心配だった。

今も、都に軽く手を振って、歩いていくその後姿に、重い影が圧し掛かっている。
都は、児玉の背中が見えなくなってからぼそりと呟いた。
「児玉さん、だいじょうぶかな・・・・・・」
「なに?どうしたの?」
都に声をかけてきたのは橋本だった。
それが、と都は口篭もった。
橋本は、児玉が消えた店のドアと、都を交互に見て、 「ちょっと、ご飯でも食べに行こうか?」
と、都の背を押した。

橋本と都は、落ち着いた雰囲気で、うまい定食を出す、橋本の行きつけの店に入った。
「ぼくも詳しくは知らないんだけどね・・・・・・」
橋本はぽつぽつと語りだした。
児玉の妻が、現在、入院中であること。
それで、児玉は、店に取られる時間以外、ずっと病院に詰めているらしい。
「え、でも・・・・・・」
児玉の娘はまだ幼い。
母親が入院してしまえば、誰がその面倒を見るのか。
「児玉さんの実家にね、預けっぱなしらしいよ」
橋本は煮物を箸でかき回した。
「昔っからね、体の強くない人だったんだ。ぼくもあったことあるけど、なんていうか、儚げな人だったなあ。色なんか、透き通るみたいに白くてさ、小柄で華奢で。
だから余計に児玉さんが大事にしてね。娘さんも、児玉さんが三十代になってから、遅くにできた子だろ、だからさ、すごく奥さんも子供も、児玉さん大事にしててさ」
うちなんて、頑丈なおふくろだったから、と橋本は肩を竦めた。
「児玉さんまで、体壊さないといいですけど・・・・・・」
「うーん、そればっかしは何ともね。病院に行くなとは言えないしな」
それに、と橋本は小さい声で、言い難そうに続けた。
「・・・・.・奥さん、結構危ないらしいんだ・・・・・・」
都はその言葉に胸を衝かれて、それ以上橋本に問い掛けることも出来ず、冷えかけた飯を口に運んだ。
いつもならうまいはずの飯が、何の味もせず、都は強引に茶で喉に流し込んだ。

それから、二週間ほどたったある日、都が大学から帰ってくると、ダイニングテーブルに、姉が残したメモがあった。
『バイト先から電話。かけ直すように』
素っ気無いメモに、まったくお姉ちゃんは、と文句を言いながら、都は電話の受話器を取った。
「あ、もしもし、反町さん?都です。どうしたんですか?」
『都ちゃん、ごめんね、あのね、児玉さんの奥さんがなくなってね』
「え・・・・・・」
『それでね、気持ちだけでも、お花だけでもと思って、悪いんだけど、お金、いいかな?』
「そ、それはもちろん構わないんですけど」
反町は急いだ様子で、ありがとう、と言ってから 『お通夜とかお葬式はいいからね。じゃ、ごめん、ちょっとお客さん来ちゃった』
慌しく電話を切った。
都は無機質な単音を繰り返す受話器を呆然と握り締めていた。
「死んじゃったんだ・・・・・・」

児玉の妻の葬儀はひっそりと行われた。
親戚筋は少なく、友人たちがぽつぽつと来る葬儀は、淋しくもあったが、それを補うように、涙は尽きなかった。
弔問客はみな、彼女の人柄と、早すぎる死を悼んで涙した。
そして、母を奪われた幼い娘と、最愛の妻を無くした児玉のことを哀れんだ。

児玉の娘は、児玉の実家に引き取られたらしい。
「児玉さん、すごく家庭を愛してたのにね・・・」
全部壊れちゃった、ばらばらだね、と反町はため息混じりに言った。
ふたりともあまり幸せな家庭で育った人ではなかったから、と児玉の妻とも親しかった反町は瞳を潤ませる。
一旦は手に入れた幸せな家庭が、妻が、娘が、彼から奪われてしまったのだ。
葬儀のあと、すぐ、児玉は異動で職場を変え、結局都は児玉に挨拶も出来ぬままだった。
「児玉さんて、どこでしたっけ?異動先」
「都ちゃん、児玉さんの顔、見に行ってくるの?」
「・・・私、児玉さんの奥さん亡くなる前に、児玉さんと喋って、それっきりで異動しちゃったから、すごく可愛がってもらってたのに」
「うーん」
反町は都の頭をぐりぐりと撫でた。
「痛いです、反町さん・・・・・・」
「都ちゃん、これ、児玉さんに渡しといて」
反町が引出しから取り出したのは、小さなぬいぐるみだった。
「娘さんに」
反町はきれいに整えた眉を、すこし寄せた。
「あたしね、渡せなかったのよ、これ」
あんまり、児玉さんが悲しそうで、と反町は言った。

葬儀の日、児玉は一切泣かなかった。
『頑張りました。妻は、精一杯頑張りました。今日はありがとうございます』
そう言って深々と頭を下げた。
彼の小さな娘は、母の死が理解できず、祖母を困らせた。
何度言い含めても、棺の蓋を開けようとする。
ママを起こしてと、棺に取りすがる。
それを引き剥がして、出棺して初めて、彼の小さな娘は「ママ、ママ」と火がついたように泣きじゃくり始めた。

児玉はその娘をじっと抱きしめていた。

外は雪が降っていた。
「時がたつの早いなあ」
雪が降ると町は白くなる。
白く染め上げられる。
美しく、穢れなく、その純白は、都の心を切なくさせる。
多分、汚れないものなど無いから、こうして美しいものもやがて醜く汚れていくのだと思うから、人は切なくなる。
美しいものを見ると、心が涙を流す。
「児玉さん、元気だといいな」
都はぽん、と傘をさして、雪の降る町を歩き出した。

児玉は新刊の文芸書を棚に陳列していた。
「児玉さん」
都は思ったよりも、児玉が元気そうなのにほっとした。
「あー、都ちゃん、よく来たね」
幾分痩せたようだったが、児玉の笑顔は以前と変わりなかった。
「えへへ、来ちゃいました」
そっか、と児玉は目を細めた。
その細め方は、彼が都と娘を重ね合わせたときと同じだった。
都は悴みかけた手で、鞄の中から、反町に託されたぬいぐるみを取り出した。
「これ、反町さんが、娘さんにって」
「そっか、ありがとう」
文芸書を置いて、ぬいぐるみへと伸ばされた児玉の左手の薬指には銀色の指輪がはまっていた。
そして、その小指には、一回り小ぶりな、同じデザインの指輪が並んではめられていた。
おそらくは、彼の妻がはめていたはずの、細い銀の指輪だった。
都はぬいぐるみを取り落とした。
「・・・あっ!ごめんなさい!」
急いで拾い上げようとする都を制しながら、児玉が思い出したように言った。
「あれ、外、雪積もってる?」
「あ、はい、積もってます」

白く、白く装って、彼のもとにやってきた幸せ。

都が頭を上げると、児玉はじっとその左手を見詰めていた。
「児玉、さん・・・・・・」
児玉は、指輪から視線を外へと向けた。
「きれいに積もるといいな・・・・・・」
都は、無性に悲しくなって、ぬいぐるみを胸元で握り締めた。
抑える間もなく、両目から涙が零れ落ちた。
それは溢れ出して、顎を伝わり、ぽとぽとと床に落ちた。
「み、都ちゃん、どうしたの!?大丈夫!?」
児玉の慌てふためいた声を聞きながら、都はとめどなく涙を流しつづけた。

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