あたしはバカでグズだから

「セイちゃぁん、痛いよぅ」
あたしは涙声で言った。
せいちゃんは何も言わない。黙ったまま、もう一度あたしのほっぺたをぶった。
「セイちゃん、怒ってるの?ごめんなさい。ねね、謝るから」
セイちゃんの部屋の床はフローリングで、お尻の骨がごつごつと当たって痛かった。
セイちゃんはあたしをセイちゃんの部屋に置き去りにしたまま、財布をジーンズの後ろポケットに入れて部屋を出て行こうとした。
「セイちゃぁーん」

あたしとセイちゃんは幼なじみで、セイちゃんは昔から頭が良かった。
あたしは反対に頭が悪くて、のろまで、よくいじめられていた。
セイちゃんはあたしを気が向けば庇ってくれたし、たまには優しくしてくれた。
かっこよくて、みんなが憧れる、セイちゃんをあたしは大好きで、セイちゃんの後ろをついて回っていた。
小学校の頃はそれで済んだけど、中学校に上がると、セイちゃんの周りには生徒会の人達や、賢くって、運動も出来るえらい人達が沢山いるようになって、あたしがその輪っかに入り込む隙がない。
クラスも一緒のクラスにはなれなかった。
でも、体育のときは合同で、セイちゃんを見ることが出来た。
セイちゃんは誰よりも足が速くて、バスケも、テニスもうまくて、あたしはいつも凄いなぁと思っていた。
でも、クラスの女の子達は、バカなあたしがセイちゃんを見ているのがイヤだったらしくて、時々意地悪をされた。
体操服を破られたり、上履きを隠されたり、給食の牛乳を腐った牛乳と取り替えられたり、直接ぶたれたり、文句を言われたりした。
『あんたがセイくんを見てると、セイくんが嫌がるんだよ』
『気持ち悪いんだよ。学校くんなよ』
そんな風に言われることもあった。
でも、あたしはやっぱりセイちゃんに会いたくて、会いたくて、ただそれだけで、セイちゃんの顔が見ていられれば、ただそれだけで満足で、別に何をされても構わなかった。
一ヶ月に一度くらい、帰り道でセイちゃんと一緒になることがあって、そんなときは涙が出るくらい嬉しかった。
「セイちゃん、一緒に帰ろうよ」
セイちゃんはいつもいいとも悪いとも言わなかった。
でも、あたしがついて行くことは許してくれた。
「セイちゃん、ねね、今度パパにワンピース買って貰うの」
あたしは一生懸命セイちゃんに話しかける。返事が無くても、セイちゃんと一緒に歩けるって、ステキだった。

昨日の夜も、そんな風にして、あたしは幸せな時間を過ごしていた。
セイちゃんは足が速くて、チビのあたしは少し駆け足になる。
寒くて、手が悴んでこすっていると、セイちゃんがあたしに自分の手袋を投げてくれた。
「うざい。それでもしてろ」
「わ、わぁー。セイちゃん、ありがとう」
あたしが手袋をはめている間に、セイちゃんは先に行ってしまった。
「あぁん、待ってよぅ。待ってよ、セイちゃん」
走って追いかけると、セイちゃんはあたしの家の前に立っていた。
「セイちゃん?」
あたしの家とセイちゃんの家は二軒挟んで隣同士。
セイちゃんは、丁度あたしの家の前を歩いている二人連れをじっと見ていた。
「どうしたの?セイちゃん」
セイちゃんはあたしの口に手を当てた。
「むぐ・・・」
「静かにしろ、ねね」
わかったと頷いたけれど、セイちゃんは手を離さない。
息苦しくてじわっと目が潤んだ。
けれど、セイちゃんはあたしを抱き込むようにしているので、あたしはセイちゃんにだっこされている気分になって、段々と気持ちよくなってきた。
でも、セイちゃんの鼓動は早く、大きい。
掌が汗ばんでいるのを感じて、あたしはセイちゃんを見上げた。
セイちゃんの視線の先にいたのは、セイちゃんのお母さんと知らない男の人だった。
セイちゃんのお母さんは、その男の人とキスをした。
あたしの口を押さえる手に、ぐっと力が入った。
「お前、来い」
セイちゃんはあたしを連れて、歩き出した。
セイちゃんのお母さんが「あっ」と言うのが聞こえた。
「俺もこいつと今からお楽しみだから、母さんはホテルにでも行ってくれる?」
セイちゃんがセイちゃんのお母さんに言った。

それから丸一日、あたしはセイちゃんの部屋に閉じこめられていた。
その間、服を脱がされたり、足の間を触られたり、怖かったけど我慢した。
セイちゃんがとても悲しそうだったから。
今もセイちゃんはあたしを置いてどこかに行ったりはしなかった。
いつも、あたしより高いところにあるセイちゃんの頭が、あたしのおなかの上にあって、つむじが見えた。
「父さんだって、母さんだって、俺を捨てて行くんだ」
「セイちゃん」
「俺だって、あいつらを捨ててやる」
「セイちゃん」
あたしはセイちゃんを抱きしめた。
「泣かないで、セイちゃん。あたしがそばにいるから」
セイちゃんはあたしのおなかに顔を埋めたまま言った。
「お前じゃ駄目だ。ねね。だってお前はバカで何もわかんないんだから」
あたしは首を振った。
「あたしはバカでグズだけど、セイちゃんのそばにずっといるから。絶対セイちゃんを置いて行ったりしないから」
だって、バカだから、セイちゃん以外はあたしの中にいないんだよ。
そんなに沢山のものは入らない。
あたしの中はセイちゃんでいっぱいなんだよ。
あたしにはセイちゃんだけしかいないんだよ。
セイちゃんは何も言わなかった。
ただあたしの上に頭を乗せていた。
「約束する。死んでもそばにいるからね」
セイちゃんがぼそりと呟いた。
「それを言うなら、死ぬまで、だろ。死んでからだったら幽霊じゃんか」
「じゃあ、幽霊になってもそばにいる。絶対セイちゃんから離れないから」
セイちゃんは少し笑った。
あたしもそれを見て少し笑った。
0303004

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